第百三十八回 中山ふれあいサロン

第百三十八回 中山ふれあいサロン「歴史講座」
令和元年7月8日
瀧  義 隆

令和元年(平成31年)NHK大河ドラマ「いだてん―東京オリンピック噺―」に因んで歴史講座のメインテーマ「日本古来のスポーツについて」
今回のテーマ「水練(日本古式泳法)―(Swimming)」について

はじめに

6月30日放映の、大河ドラマ「いだてん―東京オリンピック噺―」から、ドラマの主人公が「金栗四三」から、日本の近代水泳界をリードした「田畑政治(たばたまさじ)」にバトンタッチされた。
そこで、今回の「歴史講座」では、現在では日本国にとって、オリンピック大会の花形種目の一つとなっている、「水泳」について、その歴史を探ってみたい。歴史的にみると、日本においては「水泳」と言うよりも、「水練(すいれん)」とか、「水術(すいじゅつ)」・「泳法(えいほう)」と称していたものである。

1.「水練(日本古式泳法)」について

日本の歴史上において、何時頃に初めて水泳をしたか?誰が初めて泳いだのか?等については全く不明であるが、人類が日本列島に住居するようになって、その食生活が山野における狩猟だけではなく、河川や海に生息する貝類・魚類・海藻等を捕獲する為に、必要に迫られて自然の内に水の中に入り、そして、水の中に入れば、人体が浮力を受けることを経験し、更に手足を動かすことによって「泳げる」という技術を体得したものと考えられている。

このような行動は、単に日本の原始人類に限るものではなく、全世界的に共通してみられるものである。そこで、この項では、日本の「水練(日本古式泳法)」について取り上げてみたい。

「水練の歴史」について

「水練」についての史料として『古事類苑』の冒頭には、「武技部 十七 水練術水練ハ、水中ヲ遊泳スル術ニシテ、蓋シ往古ヨリ之アリ、然レドモ其事蹟ノ多ク書史ニ見ユルハ、中古以来ノ事ナリトス、而シテ之ヲ武術ノ一科ニ加ヘ盛ニ教授セシハ、徳川時代ノ事ニシテ、常ニ旗下以下ノ士ニ命ジテ練習セシメタリ、水練ノ具ニ浮玉浮沓等アリ、又熟達ノ人ト雖モ、長流ヲ遊泳スルニハ或ハ之ヲ用ヰルナリ、(後略)」『古事類苑 44 武技部』吉川弘文館 昭和四十四年 981P

「旗下(きか)」・・・・江戸幕府将軍の直臣の「旗本」達のことである。

「浮玉(うきだま)」・・中が空洞となっている球状の漁具で、真珠の養殖等で使用されていた。

「浮沓(うきくつ)」・・馬に履かせる沓のことで、これを馬がつける事によって自由自在に水上を走ることが出来ると信じられていた道具である。

江戸時代に入り、瓢箪等を用いて馬体に縛り付けて用いた浮き具の一つへと変化した。

以上の史料に見られる泳法であるが、古来から「畳水練(たたみすいれん)」と表現されるように、身体を動かす武術や技法を、いくら文字や絵で伝えようとしても、その技を文章や絵画から会得するのは、全く不可能に近かったものと考えられる。現存している武術等の様々な「免許皆伝書」を直接手にして見てみても、何の事が書かれているのか?殆ど理解しがたい物が多いのも事実である。・・・・・・資料①参照

その中でも、現在に伝わる古式泳法(水練)のそのごく一部を紹介すると、「平泅(ひらおよぎ)・(平泳ぎ)」・・・蛙が泳ぐ様子から考えられた泳法とされているが、現在の「平泳ぎ」とは手足のタイミングが全く異なっている。この「かえる泳ぎ(平泳ぎ)」は、オランウータンやチンパンジーも出来ることが確認されている。・・・・・・資料②参照

「抜手(ぬきて)」・・・ 水をかいた手を水から抜いて前に返し、かえる足またはあおり足で泳ぐ泳法の総称で、別名を「抜き出」とも言う。・・・・・・資料③参照「立泳ぎ」・・・・身体を水面に対して垂直に保ちながら頭部を水面上に出したまま静止する泳ぎ方のこと。現在の水泳種目の中では、シンクロナイズスイミング(アーテスティックスイミング)で見られる泳法でもある。・・・・・・資料④参照「甲冑泳法」・・・50㎏以上もある重い「鎧(よろい)」を身に付けたままで、水面上に浮いたり、ほんの少しずつではあるが水中を泳ぐ技法である。・・・・・・資料⑤参照

「水馬(すいば)」・・・小堀長順(ながひと)常春が、宝暦六年(1756)に著した『水馬千金篇』には、人馬共に浮き袋を付けて水中を泳ぐ様子が見られる。・・・・・・資料⑥参照 中森一郎著『“日本泳法”のススメ―伝承文化としての“オヨギ”が伝えるもの』㈱BABジャパン 2018年

「古式泳法の流派と流祖」について

次に、「古式泳法の流派と流祖」について調べてみると、「水府(すいふ)流」・・・水戸藩(茨城県水戸市)、流祖は福地三衛門・小松軍蔵正永等が考案した流派である。

「向井(むかい)流」・・・江戸幕府直轄の古式泳法で、御舟手方の向井家に伝わる泳法である。

「水府流太田派」・・・ 江戸に伝わる流派で、太田捨蔵を流祖とする。

「観海(かんかい)流」・・津藩(三重県津市)に伝わる流派で、宮発太郎信徳を流祖とする。

「能島(のじま)流、野島流」・・・・紀州藩(和歌山県和歌山市)に伝わる流派で、もともとは村上水軍に伝わった泳法である。

「岩倉(いわくら)流」・・紀州藩(和歌山県和歌山市)に伝わる流派で、岩倉郷助重昌が創設した流派と伝わっている。

「小池(こいけ)流」・・・紀州藩(和歌山県和歌山市)に伝わる流派で、小池久兵衛成行を流祖とする。

「神伝(しんでん)流」・・伊予松山藩(愛媛県松山市)、大洲藩(愛媛県大洲市)、津山藩(岡山県津山市)に伝わる泳法で、「主馬神伝流」から発祥した流派であると伝えられている。

「水任(すいにん)流」・・高松藩(香川県高松市)に伝わる泳法で、藩祖の松平頼重が今泉八郎左衛門盛行に命じて藩士に訓練した泳法である。

「山内(やまうち)流」・・臼杵藩(大分県臼杵市)に伝わる泳法で、伊予松山藩の山内久馬勝重が勝重流という流派の泳法を臼杵
藩の稲川清記(せいき)に伝授し、この泳法が代々継承されて、明治二十五年(1892)に当時の臼杵市長であった宇野治光等によって、山内流と改名されたのである。

「小堀(こぼり)流」・・ 熊本藩(熊本県熊本市)に伝わる泳法で、村岡伊太夫政文が流祖と伝えられている。

「神統(しんとう)流」・ 薩摩藩(鹿児島県鹿児島市)の黒田家に代々伝承されている泳法の流派である。石川芳雄著『日本水泳史』国立国会図書館 1960年

「日本への近代水泳の導入」について

日本において、古来の泳法から脱却して、ヨーロッパの近代的な泳法を導入することになったのは、1920年にオリンピックアントワープ大会に参加した田畑政治と、選手として出場した浜松中学校出身の内田正練(まさよし)選手が、日本古来泳法の「抜き手」では欧米の「クロール」の速さにとても太刀打ち出来ず、予選敗退してしまったことに始まる。

アントワープから帰国後、田畑政治は浜松で水泳の指導者として、内田正練も北海道大学に進学し、「北大水泳部」を創設して、ヨーロッパの「クロール」泳法を積極的に導入し、指導したりしたこともあって、「クロール泳法」は日本全国に流布していったのである。このことから、1932年のオリンピックロスアンゼルス大会では、浜松一中在学中の宮崎康二が100m自由形と、800mリレーで金メダルを獲得する、めざましい進歩をみせたのである。これ以後、日本の水泳界からは、前畑秀子や古橋広之進・岩崎恭子・北島康介・瀬戸大也・池江璃花子等、続々と有能選手をオリンピック大会に送りこむような「水泳王国」の仲間入りする大発展を続けているのである。

「ヨーロッパの水泳の発達」について

この項では、ヨーロッパではどのように水泳が発達したか?についてみることとしたい。日本においてだけではなく、ヨーロッパにおいても、人類が二足歩行をするようになってから、生活上の必要に迫られて水の中に入り、そして「泳ぐ」という技法を体得していったものと考えられている。

「ヨーロッパの水泳の歴史」について

古代ギリシャに作成された壁画や彫刻等を見ると、現在からおよそ9,000年前頃には人類が水の中で泳いでいる様子が描かれており、文字として残存している物としては、古代エジプトの「パピルス文書(紀元前2,000年頃)」に、兵士が泳いでいることを書いている部分が発見されている。

古代ギリシャ(紀元前900年前頃)におけるオリンピュア大祭(オリンピックの前身)においては、運動の科目としての水泳は行われていたが、その後の古代オリンピックの競技種目としては採用されてはいなかった。その理由としては、「人間が水の中で泳ぐのは、ごくあたりまえの事であるから。」とするものや、「オリンピュア大祭が行われる時期にはオリンピュアの川の水が無くなり、泳ぐ事が不可能である。」とする、二つの説が考えられている。

この古代ギリシャあたりで行われていた水泳も、動物達が水中で泳ぐ様子を模倣したもので、いわゆる日本で言う「犬かき」や、蛙の泳ぎをヒントとする「平泳ぎ」のタイプで、非常に原始的な泳法であったのである。

「オリンピックの水泳競技の歴史」について

19世紀に入り、イギリスで産業革命がおこると、多くのスポーツにも単なる身体訓練の為の娯楽的運動から、競技としての運動へと大改革され、「スポーツの近代化」が形成されていったのである。その結果、イギリスのロンドンにおいて、1896年に世界で初めて「水泳大会」が開催された。

同年にギリシャで行われた第一回のオリンピック大会で、水泳が正式種目となり、これが現在まで継続されているのである。この第一回のオリンピック大会の時には、「自由形」として「平泳ぎ」のみが行われたが、1900年のオリンピックパリ大会には「背泳ぎ」が種目として加わっており、「自由形」も「クロール永法」へと変化していった。1956年のオリンピックメルボルン大会から「バタフライ」が新たな種目とっている。

まとめ

今年のNHK大河ドラマ「いだてん―東京オリンピック噺―」は、大変残念な事に、回を重ねる毎に視聴率は低下する一方である。その原因と考えられるのは、従来のNHK大河ドラマの主人公は、全て歴史上でも有名な人物で、時代劇という迫力のあるストーリーであった。昨年の「西郷(せご)どん」にしても、日本近代史上において、誰しもが一般常識として持ち合わせている大人物が中心となっているから、ストーリーがほぼ判り易いものとなっていた。

しかし、今年のNHK大河ドラマの主人公の設定は、マラソン界では有名なのかもしれないが、また、水泳界では有名なのかもしれないが、その世界の人達にしか判らない人物であって、あまりにも限定的・特定的であったことに原因があったのではないだろうか?更に、ナレーションを「古今亭志ん生(ビートたけし)」にしたのも、視聴者に一段と「不快感とストーリーの混乱さ」を与えているのではないだろうか?とも考えられる。

参考文献

  • 三上節造著『日本水泳史考』日本水泳連盟日本水泳委員会 2003年(国立国会図書館サーチ)

次回予告

令和元年9月9日(月)午前9時30分~
令和元年(平成31年)NHK大河ドラマ「いだてん―東京オリンピック噺―」に因んで
歴史講座のメインテーマ「日本古来のスポーツについて」
次回のテーマ「馬術の歴史―Equestrian」について

※8月の「歴史講座」は、諸般の事情によりお休みとなります。

添付資料

第百三十八回 中山ふれあいサロン(資料1)

第百三十八回 中山ふれあいサロン(資料1)

第百三十八回 中山ふれあいサロン(資料2)

第百三十八回 中山ふれあいサロン(資料2)

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