「平安時代の娯楽」について

第百六十八回 サロン中山「歴史講座」
令和六年9月9日

瀧 義隆

令和六年NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代
歴史講座のメインテーマ「王朝文化(平安時代)の探求」
今回のテーマ「平安時代の娯楽」について

はじめに

8月4日放映の「光る君へ」のドラマの中で、「紫式部」の父である「藤原為時(ためとき)」と、娘の「賢子(かたいこ・かたこ・けんし)(ドラマの中では、「かたこ」と呼んでいる。)とが、白と黒の「碁石(ごいし)」を使って、現在の「おはじき」のような遊びをしている様子を演じていた。また、8月25日放映の「光る君へ」では、一条天皇の子供である「敦康(あつやす)親王」が「投壺(とうこ)」で遊ぶシーンがあり、これを見て「平安時代に生きていた子供達は、どんな遊びをしていたものか?」との疑問を抱き、「平安時代の娯楽」について調べてみたので、その結果を今回の「歴史講座」で取り上げてみることとしたい。

1.「相撲の歴史」について

古代の歴史上での娯楽を調べてみると、宮廷の貴族達の多くは、年中行事の一つとして位置付けされている「相撲見物」がある。「相撲」は歴史的史料として、何時の時代から記述されているものか?を見ると、日本最古の歴史書の『古事記』には、「建御雷(たけみかづち)神」と「建御名方(たけみなかた)神」の二柱の「神」が「力くらべ」をしていたとの記載があるが、これは「神」の世界の事である為、詳細は省略し、人間が実際に「相撲」らしきものを実行したとされる記事を『日本書紀』で調べてみると、

『垂仁天皇七年七月七日、おそばの者が申し上げ、「当麻邑に勇敢な人がいます。当麻蹶速といい、その人の力が強くて、角を折ったり曲がった鈎をのばしたります。(中略)
天皇はこれをお聞きになり、群卿たちに詔して、「当麻蹶速は天下の力持ちだという。これに勝う者はあるだろうか」といわれた。ひとりの臣が進み出て、「出雲国に野見宿禰という勇士があると聞いています。この人を蹶速に取組ませてみたらと思います」という。その日に倭直の祖、長尾市を遣わして、野見宿禰を呼ばれた。野見宿禰は出雲からやってきた。当麻蹶速と野見宿禰に角力をさせた。二人は向かい立った。互いに足を挙げて蹴り合った。野見宿禰は当麻蹶速のあばら骨をふみくだいた。また彼の腰を踏みくじいて殺した。(後略)」

宇治谷 猛全現代語訳『日本書紀 (上)』 講談社学術文庫 2002年 141P
  • 「垂仁(すいじん)天皇」・・・日本の第11代天皇で、在位は、垂仁天皇元年~垂仁天皇99年迄とされているが、3世紀後半から4世紀前半の天皇ではないか?とされていて、不明確な点が多い天皇である。
  • 「当麻邑(たぎまのむら)」・・・大和国にあった村で、現在の奈良県葛城(かつらぎ)市当麻である。現在も「当麻寺」が存続している。
  • 「鈎(ち・かぎ)」・・・釣り針のこと。先のまがった金属製の器具のこと。
  • 「群卿(ぐんけい)」・・・天皇の近くでお仕えする位の高い人々のこと。
  • 「詔(しょう)して」・・・天皇からの「仰せ」のみに使う言葉で、通常は「みことのり」とも言う。
  • 「倭直(やまとのあたい)」・・・「倭田中直(やまとのたなかのあたい)のことで、大和国の高市郡か?または、添下郡を支配した一族のことか?
  • 「長尾市(ながおち)」・・・市磯長尾市(いちしのながおち)のことで、古墳時代の豪族の一人であり、「倭国造(やまとのくにのみやつこ)の一人でもある。
  • 「野見宿禰(のみのすくね)」・・・出雲の国(現在の島根県東部)の人である。垂仁天皇の命令により、當麻蹶速と捔力(すまい)を行わせたところ、互いに蹴り合う事となり、蹶速を蹴り殺して勝利した。
  • 「當麻蹶速(たいまのけはや・たぎまのけはや)」・・・大和国當麻(現在の奈良県)の人で相撲の強い人物とされている。しかし、野見宿禰に腰を踏み折られて死んでしまった。

以上の史料に見られる「相撲」は、今日の「相撲」のイメージとは大きく相違していて、取り組むのではなく、互いに「蹴ったり」「踏みつけたり」していた。また、相手を殴り殺してしまうような過激な場合もあり、「相撲」は殺伐とした格闘技であった事を明示している。

また、「相撲」の語源について調べると、古代においては、「素舞ひ(すまひ)」と称しており、男が裸で舞うという意味から生じた言葉で、それが「すもう」と変化したものである。書き方も「角力」とか「捔力」とも、また、「角觝」とも表記していた。一説では、「相撲」ではなく、「手乞(てごい)」と称していた、とするもので、その理由は、相手の手を掴むことから、この言葉がうまれた、というものである。・・・・・・・・資料①参照

奈良時代から平安時代にかけての「相撲」は、毎年の七月、七夕の日に、天皇や貴族達が宮中の年中行事の一つとして、「相撲節会(すまいのせちえ)」が行われた。この目的は、日本全国の五穀豊穣と天下泰平を祈願する神事として行われるものであって、格闘技というより、様式化された芸能的で、儀礼的なものであった。

比較的平穏な時代を過ぎて、武士の勢力が拡大した鎌倉時代に入ると、武士達は日常の武闘訓練の為や、陣中の暇つぶしの為に、鎧を身に着けたままで「相撲」をとっていたのである。また、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝も「相撲」を好み、家臣達に「相撲」を取らせて楽しんだりしている。

室町時代になると、権力者である京都の足利氏は、「北山文化」や「東山文化」で知られるように、美術的方向に重点を置いて、体力的な「相撲」等には重点を置いていなかった。むしろ、地方の大名達が、「相撲とり(力士)」を召し抱えるようになってくる。室町時代後期の戦国武将である織田信長が催した相撲大会の時に、初めて「土俵」が造られ、「行司(ぎょうじ)も出現している。また、豊臣秀吉も「相撲」を好み、「上覧相撲」を度々催していた。江戸時代に入り、徳川政権が安定してくると、「武家相撲」の意味がなくなってしまい、「相撲とり(力士)」の行き場がなくなってしまいそうになるものの、かわって、一般庶民が「勧進相撲(かんじんすもう)」を行うようになり、「相撲」の様式やルールが整備されるようになった。江戸時代中期頃になると、定期的に「相撲」
興業が行われるようになり、徳川将軍も「上覧」することもあって、「相撲」の隆盛時期を迎え、それが更に発展して、明治時代から、更に、現在の「日本相撲協会」へと進展したのである。

二木謙一・入江康平・加藤 寛共著『日本史小百科 武道』東京堂出版 平成十年 21~22P

次に、紫式部が、この「相撲」について、次のような和歌を詠んでいるので、それを紹介すると、「たづきなき旅の空なるすまひをば雨もよにとふ人もあらまじ」この意味は、「雨で延期になった相撲の力士達が、所在なく暇をもてあまして一日過ごしているのと同じように、紫式部も退屈しているのに誰も来てくれない。」と、歎いている様子が見て取れる和歌なのである。

『新潮日本古典集成 (第三五回) 紫式部日記・紫式部集』新潮社 昭和五十五年 155P

この和歌は、紫式部が宮中に仕えていた、一条天皇の在位していた寛弘四年(1007)八月十八日に「相撲観戦」が降雨の為に延期されてしまった時に、紫式部の「暇でしょうがない。」といった様子を歌ったものである。このことから、女房としては身分の低い紫式部も直接「相撲観戦」が許されていたのではないか?とも考えられる。

2.「平安時代の遊び」について

平安時代の貴族達や庶民達の「遊び」について調べてみると、次のようなものが見てとれる。

  • 「投壺(とうこ)」・・・中国の周の時代(紀元前1,000頃~紀元前250年頃迄)のゲームで、左右に立った2人の競技者が、遠くに置いた壺をめがけて12本の矢を投げ入れて遊ぶもので、後世の江戸時代になって「投扇興(とうせんきょう)」の原型となるものである。
  • 「小弓」・「雀小弓」・・・室内で小型の的を弓矢で当てる遊びで、「雀小弓」は子供用の遊びである。
  • 「打毬(だきゅう)」・・・平安時代に中央アジアから伝来した遊戯で、ポロやホッケーに似ており、毬(まり)を「毬門(きゅうもん)」というゴ―ルに打ち入れて遊ぶものである。ただし、ルールがどのようなものであったかは判っていない。藤原道長も若い時に、好んで「打毬」を楽しんでいる。
  • 「毬杖(ぎっちょう)」・・・「打毬」が変形した遊びで、広く庶民にも好まれた遊びである。現在のゲートボールのようなもので、博打(ばくち)の材料ともなった。宮廷での年中行事の一つでもあり、一年の吉兆を占ったり、鬼神を追い払う意味もあった。
  • 「石投(いしなご)」・・・一つの石を高く放り上げて、その石が落ちてこない内に、置いてある石を拾って落ちてきた石を受けて遊ぶもので、「お手玉」のようなものである。
  • 「独楽(こま)」・・・中国でうまれた遊びで、朝鮮半島を経由した日本に伝来した遊びである。「独楽」とは、朝鮮半島の「高麗(こま)」を経て伝わった事から、「こま」と言うようになった、とする説が有力である。
  • 「弾棋(だんぎ)」・・・中国の漢の時代(紀元前200年頃)の遊びで、「現在の日本の「囲碁(いご)」のようなものだ、とされているが、正確には詳細は不明である。
  • 「輪鼓(りゅうご)」・・・木製で、鼓(つづみ)の形をした三角形状のものを、二つ繋いだもので、これに柄の付いた糸を両手であやつり、転ばして遊ぶものである。
  • 「雛(ひいな)遊び」・・・人形(ひとがた)と称される、現在で言う「人形(にんぎょう)」で、オモチャとして遊ぶものである。
  • 「意銭(いせん)」・・・別名を「銭打(ぜにうち)」とも言い、地面にいくつかの銭を並べ、相手の指示する銭に投げ当てて遊ぶもので、後世の「めんこ遊び」のようなものである。
  • 「貝合わせ」・「貝おおい」・・・伏せた貝の内側に絵を合わせるのではなく、二つの貝の表の模様を合わせるゲームである。・・・・・・・・資料②参照
  • 「偏継(へんつぎ)」・・・明確なルールは判っていないが、漢字の「旁(つくり)」と、「偏(へん)」をつけて、一つの文字を完成させる遊びではないか?と想定されている。漢字教育の目的があったものと考えられている。
  • 「洲浜(すはま)」・・・饗宴の飾り物として使われる「洲浜」のことで、台の上に砂浜を造り、自然の状景を再現し、後の「盆景」のように景色を楽しむものであった。
  • 「双六(すごろく)」・・・奈良時代には日本に伝わっており、2個のサイコロを筒に入れて振り出し、出た目によって盤上に並べた白か黒の駒を進めて競うものである。・・・・・・・・資料③参照
  • 「鷹狩り(たかがり)」・・・飼いならした鷹を山野に放して、小鳥や兎等の小動物を捕獲する一種のスポーツでもあり、捕えた獲物は食糧とした。
  • 「闘鶏(とうけい)」・・・中国の紀元前1,000~250年前の周(しゅう)の時代にあったとされている遊びの一つで、日本に伝来した時期は明確ではないものの、8世紀頃には貴族の間で、闘鶏を行っていた事が、色々な史書や日記に「鶏合わせ」として明記されている。
  • 「賀茂競馬(かものくらべうま)」・・・第73代の堀河(ほりかわ)天皇の御代で、寛治七年(1093)に始った神事であり、天下泰平と五穀豊穣を祈願する祭である。これは、現在でも実行されている。
  • 「流鏑馬(やぶさめ)」・・・『日本書紀』にも著してあるもので、天武天皇九年(680)の記録として、「馬的射(うまゆみい)」なるものが書かれており、これが平安時代になって宮廷行事の一つとして実施されることとなった。鎌倉時代には武士達の武芸鍛錬の一つともなった。
  • 「竹馬(たけうま)」・・・平安時代の10世紀頃に、子供達が「竹馬」で遊んでいる様子を和歌の中に詠まれている。この「竹馬」の遊びが、江戸時代になると変形して、「春駒(はるこま)」等と称される遊びも現れくる。
  • 「手まり」・・・平安時代に盛んとなった「蹴鞠(けまり)」を、宮廷の女性達がこれを改良して、女性の遊び道具とし、まりの芯を、もみがら・古着・布団綿・ヘチマ・海綿・木くず等、地域によっても中身に違いはあるが、工夫に工夫を加えて「まり」を造り、様々に遊んでいた。
  • 「楽器演奏」・・・ 平安時代頃になると、「琵琶楽」なるものが登場してきて、琵琶を用いて「語り物」をする盲目の僧などが現れるようになってくる。「光る君へ」のドラマの中では、「まひろ(紫式部)」役の吉高百里子さんが、時折、「琵琶」を奏でているシーンが見られる。平安朝の貴族の中には、「琵琶」のみならず、「笙(しょう)」や「和箏(わごと)」を弾いたりして楽しんでいた・・・・・・・・資料④参照

服藤早苗著『平安王朝の子どもたち―王権と家・童―』吉川弘文館 2004年
寒川恒夫著『遊びの歴史民俗学』明和出版 2003年

以上のような遊びの他に、貴族達には日常的な「なぐさめ」の為に、「ペット飼育」として「猫」を飼うこともあった。「猫」は、奈良時代に中国から仏教が日本に伝来した時にもたらされた動物で、急激に「飼猫」が宮中にひろまることとなった。また、貴族も一般庶民達も「物見遊山」に出かけ、「花見」や「紅葉狩り」等季節季節の自然の変化を楽しむ事も行っていたようである。

増川宏一著『日本小史と最新の研究 2 ものと人間の文化史』法政大学出版局 2021年

まとめ

いずれにしても、男も女も、日々の暮らしを「せこせこ」と時間に追われる現代と違い、平安時代の貴族達は、生活の中にまだ時計もない時代であったから、何時も「ゆったり」とした時の流れの中で、暇をもてあまして、男はより「見目麗しい女性」を求め、また、女性は「より高貴で教養のあり、そして、より美男」を求めて人生を謳歌していたものと思われる。「たった一度の人生」である。古代の人も現在を生きる人々も、「何の為に生れてきたのか?」と、後悔だらけの人生であってほしくはない。せめて、「今を楽しまなくちゃー」ではならろうか?。

参考資料

「平安時代の娯楽」について、参考資料

参考文献

次回予告

令和六年11月11日(月)午前9時30分~
令和六年NHK大河ドラマ「王朝文化の探求」
次回のテーマ「田楽・神楽・雅楽の歴史」について

★10月の「歴史講座」は、会場が中山祭開催準備と重なる為、お休みします。

〈電子書籍/コミックの品揃え世界最大級〉【ebookjapan(イーブックジャパン)】

初月無料!雑誌やマンガ、さらに「るるぶ」が読み放題!【ブック放題】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.