第百六十五回 サロン中山「歴史講座」
令和六年6月10日
瀧義 隆
令和六年NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代
歴史講座のメインテーマ「王朝文化(平安時代)の探求」
今回のテーマ「香道・花道の歴史」について
はじめに
「京都」をイメージすると、「平安絵巻」でよく見た、「優雅」・「奥ゆかしさ」が感じられて、庶民には近寄れない、独特の「上品さ」「優美さ」等、伝統的な「重厚さ」をも感じさせるものがある。特に京都弁での会話を聞くと、どことなく「はんなり」とした「奥深さ」のある言葉が聞き取れるような感じがする。
このような「はんなり」とした「上品さ」は、平安時代における「王朝文化」によって醸成されたものと考えられる。そこで、今後の「歴史講座」では、数回にわけて、この「王朝文化」の多様性について目を向けてみたい。
1.「王朝文化の開花」について
平安時代は、それまで約200年続いていた「遣唐使」を、寛平六年(894)に菅原道真が唐の文化が衰退してきた事や、唐への航海が困難である事等を理由として、「遣唐使の派遣を廃止すべき。」と宇多(うだ)天皇に提案したところ、これが認められ、以後、「唐」へ渡る人もなくなり、従って文化流入もなくなったのである。この後、これまで流入した唐の文化と日本独自の文化とが融合した新しい文化が形成された時代である。特に、文学の発展がめざましく、平安貴族を中心に「仮名文字」が発明されると、女性による文学作品が造り出され、女性作家が大活躍する時代となった。
そのような平安の文化は、次の三つの区分に分けられている。
①「唐風(とうふう)文化」について
唐風文化とは、奈良時代~平安時代初期にかけて唐(中国)の影響を受けた文化のことであり、「弘仁(こうじん)・貞観(じょうがん)文化とも称されるもので、都市計画・学問・法律・漢詩文・書道・官廷の儀式・官吏の服装等の唐風文化を日本に流入していた。
②「国風(こくふう)文化」について
平安時代の中期頃になると、中国の唐王朝が衰退してしまい、寛平六年(894)には日本からの遣唐使の派遣が廃止となり、日本独自の仮名文学・寝殿造り・大和絵・佛像彫刻が発展して、日本の風土に合うように工夫された優雅で洗練された文化が造り上げられた。「国風文化」は、藤原氏が最も権勢を極めていた時代でもあったので、別称として「藤原文化」とも言われている。
③「平安末期の文化」について
平安末期になると、政治的には院政時代へと変革がなされる時期であることから、「院政期文化」とも称されており、それまでの貴族中心の社会構造から武士社会へ、そして庶民へと文化が変貌する時期であり、軍記物や絵巻物・説話集等の新しいジャンルも登場したり、和歌にも新傾向が見られるようになってくる。
阿部 猛・西垣晴次編『日本文化史ハンドブック』 東京堂出版 2002年 17P / 『歴史学事典 第11巻 宗教と学問』 弘文堂 平成十六年 239P
2.「香道の歴史」について
平安京の街中は、人や動物の死骸の臭や、糞尿の臭等で不潔極りない環境にあって、また、平安時代に生きていた貴族も庶民達にも、身体を清潔にする為の入浴の習慣は全くなかったので、誰もが体臭が強くて常に「鼻をつまんでいる。」状態であった、と推定される。
そこで考えられたのが、「お香」を焚きしめる事によって、異臭を少しでも無くそうとしたのである。この「お香」についての史料を見ると、
「古事類苑 遊戯部 聞香香ノ事ハ、支那ノ書ニハ古クヨリ見エタレドモ、皇国ニテハ推古天皇ノ朝、沈水ノ淡路島ニ漂着セシヲ以テ始トス、其後海外交通ノ路漸ク開ケ、僧徒賈客ノ携へ帰リ齋シ来ルアリテ、其種類甚ダ多シ、初ハ佛事ニノミ用ヰシガ如クナレドモ、延喜天暦ノ頃ヨリ、宮中ニテ薫物合ト云フコト行ハル、薫物トハ香ノ事ニテ、是レ香ヲ聞キ戯トスル始ナリ、(後略)」
『古事類苑 30 遊戯部』吉川弘文館 昭和四十四年 299P
「聞香(ぶんこう・もんこう・ききこう)」・・・・香は嗅ぐとは言わず、聞(きく)と言うのが正式である。「聞」の意味を調べてみると、物事を耳で聞く意味の外に、味や臭を「こころみる」という意味もある。
「皇国(こうこく)」・・・・天皇が治める国の事で、我国、日本の意味である。
「推古天皇(すいこてんのう)」・・・・・第33代の天皇で、欽明天皇十五年(554)~推古天皇三十六年(628)迄の人である。
「沈水(ちんすい)」・・・・海が陸地内に侵入した状態の海岸のことであり、岬や島を意味する。
「僧徒(そうと)」・・・・・多くの僧侶のこと。
「賈客(こきゃく・こかく)」・・・・・商人のこと。
「齋(とき)シ」・・・・・・心身の不浄をつつしむこと。仏教用語である。
「延喜(えんぎ)」・・・・・平安時代の醍醐天皇の時で、延喜元年(901)~延喜二十三年(923)迄である。
「天暦(てんりゃく)」・・・村上天皇の時で、天暦元年(947)~天暦十一年(957)迄である。
「薫物(たきもの)」・・・・種々の香を焚いて、その香の臭いを衣服や頭髪・部屋等にしみこませること。
以上に示されている史料を元に、「お香」ついて整理すると、
①「仏事の香り」
奈良時代の仏教の伝来に伴い、唐から「香木」が我国に伝わり、平安時代には「お香」は宗教的な意味合いが深く、「祈り」や「魔除け」の為に使用されていた。
②「趣味の香り」
「おしゃれ」・「身だしなみ」・「嗜(たしなみ)」として「お香」を楽しむようになる。この様子は、清少納言が著した『枕草子』にも書かれている。
③「権力と教養を示す高貴な人達の証」
「お香」の原料は、外国からの輸入品であって、贅沢で高価な物であったから、貴族階級のような豊な家柄でなければ手に入れる事の出来ないものだった。
④「体臭防止の為」
平安時代には、貴族も庶民にも「入浴」する習慣がなかった為に、誰もが体臭が強く不潔極まりなかった。その為に貴族達は身体や衣服に「お香」を焚きしめて、自身の香りを保ったのである。一般庶民達は、高価な「お香」を手に入れる事は不可能であったから、強い体臭を放って日常生活をしていたのである。
★「入浴」の風習は、日本に仏教が伝来した6世紀頃には伝えられた、と考えられており、僧侶の「瀧行(たきぎょう)」に見られるように、清潔を保つ為の行為ではなく、宗教的な意味合いの強いものであった。
一般的には河原の水で身体を拭く程度のもので、女性達は隠れて身体を拭き清める程度でしかなかった。純粋に公衆浴場としての「銭湯(せんとう)」が登場したのは江戸時代に入ってからで、最初の頃は「蒸し風呂」の一種で、「戸棚風呂」と言われる形式の風呂であった。
平安時代の「お香」の文化は、上流社会の人々達が、対面を保つ為、必要に迫られて使い始めたものが、次第に「お遊び」としての「香道」へと発展し、今日まで伝承されている。その流派としては次のようなものがある。
「御家流」・・・・・室町時代に三条西家によって継承された流派である。
「志野(しの)流」・・室町幕府・足利義政の近臣であった、志野宗信を流祖としている。
「米川流」・・・・・東福門院に指南したとされる、米川常伯を流祖としているが、明治時代に入り廃絶してしまった。
「泉山御(せんざんご)流」・・・・・ 江戸時代に興された流派で、京都の「泉涌(せんにゅう)寺」を御家元としている。
以上の流派の他に、現在では、「風早流」・「古心流」・「香雅流」・「香道御家流霽月(せいげつ)会」・「香道直心流」・「香道御家流桂雪会」・「平安朝香道」等の流派が活躍している。
このような、高級な趣味としての「お香」ではなく、現在に生きる我々庶民にも「お香」を焚く習慣が存在している。それは、お盆や命日には仏壇に「お線香」を上げたり、葬儀の時には「お焼香」をするが、これらの行為は全て古代インドで発祥した仏前で「お香を焚く」という仏教作法が、中国を経て我国に伝来し、宗教行為として定着し、連綿として古代から現在に継承されているものである。
★「平安時代のお香の種類」
「六種薫物(むつくさのたきもの)」と称されるものがあり、それを示すと、
梅花(ばいか)・・・・古典的な日本らしい春の薫りで、梅を思わせる「お香」である。
荷葉(かよう)・・・・夏に用いる「お香」で、蓮(はす)の花の臭いに似ている香りである。
菊花(きっか)・・・・菊の花を思わせる秋の香りで、食用菊を乾燥させて造る。
落葉(らくよう)・・・秋から冬を感じさせる香りで、葉の落ちる哀れさを思わせる香りである。
侍従(じじゅう)・・・晩秋から冬への「移ろい」を感じさせたり、物の哀れを思わせる香りである。
黒方(くろぼう)・・・四季を通じて用いられる「お香」で、玄妙な香りを放って深く懐かしい落ち着いた香りである。
★香木で有名な物として、奈良の東大寺正倉院に「蘭奢侍(らんじゃたい)」と言われる香木が保存されている。この香木は、中国から伝来したものと考えられているものの、正確な根拠はない。奈良時代に仏教文化を薦めた聖武(せいむ)天皇の遺品と伝わっている。
「蘭奢侍」は、全長1.5メートル、最大直径が37.8センチ、重量が11.6キログラムで、日本最大の香木である。歴代の天皇や、手柄のあった者に対してこの香木を切り取って与えていた事から、この香木を持つことが、権力者の象徴となり、「蘭奢侍」を持つ者、即ち、国家の権力者である事 を意味するものとなった。それ故に、足利義政・織田信長・明治天皇も、「蘭奢侍」の一部を切り取って我が物とし、切り取られた場所には切り取った者の名前が書かれた付箋が残されている。
3.「花道の歴史」について
「花」を飾りたてる行為は、有史以前の原始時代の人々にとっても野原の花々を摘み取り、それを持ち帰って住居の一隅に飾ったであろう事は、史料として見る事は出来ないまでも、充分に想像し得るものである。
日本に仏教が伝来すると、古代インドで発祥した仏前に「お香」を供えるとともに、「花」も供えて仏前を清める作法が、インドから中国を経由し、朝鮮半島を経由して我国にも伝えられたのである。奈良時代に書かれた「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」は、教王護国寺に伝来する仏事や法会・祈祷等の記録を示した文書であるが、その文中に、供僧の役目として「夏衆(げしゅう)」と称される僧がいて、毎日、仏前に「供花(くげ・きょうか)」をする事が書いてあり、僧侶達が仏前に「お香」を供えるとともに、仏前を日々「花」で飾りたてている事が記録されている。このような、「供花」の作法が奈良時代から平安時代へと変遷する内に、仏事行為が「遊技(ゆうぎ)」の一つとなって一般化するようになる。これを示す史料として『古事類苑』には、
「古事類苑 遊戯部十三 挿花挿花ハ、花枝ヲ瓶中ニ挿入シテ、(中略)挿花ハ、既ニ中古ヨリ見エタレドモ、其法ヲ立テヽ遊技ト為シヽハ、蓋シ室町幕府の中葉以後ノ事ナルベシ、(後略)」
『古事類苑30 遊戯部』吉川弘文館 昭和四十四年 229P
「挿花(そうか・さしばな)」・・・・草花を器に挿す全ての行為や、挿されたものの総称である。「生け花」は挿花の一部である。以上のように記載されていて、「中古の頃」であるから、奈良・
平安時代頃には、仏事ではなく「挿花」として「花」を単に「愛でる」娯楽へと変化している事が見てとれよう。それが更に発展して、「室町幕府の中葉」には、一つの「道を究める」方向へと前進するのである。
それを史料で示すと、
「立花ハ池坊ヲ以テ宗トス、京都六角堂ノ執行ナリ、故ニ之ヲ池坊流ト云フ、此流ハ専慶ニ起ル、寛正年間ノ人ナリ、師資相傳シ、専好ニ至ル、専好ハ慶長年間ノ人ニシテ、其技前人ニ超越スト云フ、(後略)」
『古事類苑30 遊戯部』吉川弘文館 昭和四十四年 229P
「池坊(いけのぼう)」・・池坊とは、聖徳太子が沐浴した池があった場所から由来しており、その池の側に僧の住む「坊」があったことから、「池坊」となった。
「京都六角堂」・・・・ 京都の中京区六角通東洞院西入堂之前町にある天台宗系単立の寺院である。池坊の発祥の地として有名である。
「執行(しぎょう)」・・・現在では住職と言う。
「専慶(せんけい)」・・・池坊専慶のことで、京都頂法寺の僧侶である。飛鳥時代の官人である小野妹子(おののいもこ)の末裔と伝わっている。
「寛正年間」・・・・・ 室町時代の年号で、寛正元年(1460)~寛正七年(1466)年頃迄の時期である。
「師資(しし)相傳」・・・師匠の技術や教えを弟子達が代々引き継いでいくこと。
「専好(せんこう)」・・・池坊専好のことで、室町時代後期の人で、歴代「専好」を名乗る人達の初代である。
「慶長年間」・・・・・ 安土桃山時代から江戸初期に跨る年代で、慶長元年(1596)~慶長二十年(1615)頃までである。豊臣秀吉や徳川家康達が活躍していた時代である。
「生け花・華道の流派」について日本を代表する「三大流派」として「池坊(いけのぼう)流」・「草月流(そうげつりゅう)」・「小原流(おばらりゅう)」があるが、この三つの流派と、それ以外の歴史を見ると、
「池坊」・・・・・・本来は「池坊流」には、「流」はついておらず、正式には単に「池坊」と称し、日本最古の流派である。
「草月流」・・・・・昭和二年(1927)に勅使河原蒼風が創設した流派である。
「小原流」・・・・・明治時代の中頃に、小原雲心という人が創設した流派で、他の流派では使わなかった「洋花」を使用する新しい流派である。
以上の流派の他に、「龍生流」・「嵯峨御流」・「未生流」・「古流」・
「いけばな雪舟流」・「大和花流」・「華道遠州」・「専慶流」など、現在では日本中に約300以上の流派が存在するものと思われる。
まとめ
平安時代に生れた一部貴族中心の様々な文化も、そのまま限られた人々だけの「遊び」や「技」であったとすれば、限定的な「遊戯」に過ぎず、時間の経過とともに、あるいは衰退してしまっていたかもしれない。しかし、それらの貴族中心であった文化も、平安時代の人口の大部分を占める一般庶民達にも流布することによって、「お香」や「生け花」の「お遊び」も大きく発展し、今日へと伝承されたものと考えられる。
今日においても、何事も大衆に支持されないものは、「娯楽」・「スポーツ」・「歌謡曲」等々、全て発展・拡大する事は得られない。これは、政治の世界においても同様であろう。一般庶民に理解されない政治は、「政治的エゴ集団」としか捉えられないのではなかろうか。「一般庶民の力を馬鹿にしては」いけないのである。
参考文献
- 堀口悟著『江戸初期の香文化―香がつなぐ文化ネットワーク―』文学通信社(Amazon)
- 本間洋子著『香道の文化史(Amazon)』吉川弘文館 (Amazon)
- 伊藤敏子著『教育社歴史新書(日本史) いけばな』教育社(Amazon)
- 工藤昌伸著『日本いけばな文化史 1~5(Amazon)』同朋舎出版 (Amazon)
- 中山真知子著『いけばなの起源―立花と七支刀―』人文書院(Amazon)
次回予告
令和六年7月8日(月)午前9時30分~
令和六年NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代
歴史講座のメインテーマ「王朝文化(平安時代)の探求」
次回のテーマ「歌道・舞踊の歴史」について
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