すでに図書館で借りて読んでいた。という作品もありましたが、取りあえずは6冊読んでみました。『リア王』、『ハムレット』、『破戒』、『病床六尺』、『銀河鉄道の夜』、『我が闘争』になります。一つずつ簡単にではありますが、辛口も含めて感想を書いておきたいと思います。
『リア王』
元祖老害の話か?と思える位にリア王の人の見る目のなさから全てが始まり、多くの人を不幸に巻き込んでいく話でしたね。いわゆる貧困層についても、王様だったくせして、見た事もなかったとか、王様としては最低レベルの人物でしたね。シェイクスピアの作品とはヴェニスの商人を読んでいましたが、続くハムレットと同じように、気が狂ってしまう人物が登場をしてきて、何だか、後味の悪さを感じます。
『ハムレット』
こちらはリア王とは比較をして、正統派と言う印象を受ける作品となっていました。本来、シェイクスピアは劇の脚本家であって、別段小説家ではなく、演出も含めた上での脚本を書いていて、舞台の上での演出とかにも関わっていた?と言う話は聞いた事がありますので、登場をするシーン自体は少ないんですよね。冒頭の部分が終わりとなっていて、そこから本題に入っていく形となっているのですが、これはロマンシングサガなどでも吟遊詩人が最初に歌いだすのですが、ハムレットが元になっているのでしょうかね?失礼な言い方を承知していますが、王道的なスタンスの作品で、ふーむ!となりました。
『破戒』
いわゆる、部落差別を描いた作品となっています。私の世界だけでしょうかね?一昔前、と言っても20年とかそれぐらいですが、その当時はまだちょっと残っているぞ。と言う雰囲気はあったのですが、流石に現在では被差別部落の事で差別を受けている。と言う話は聞いた事がないです。まー、色々とね、被差別部落を商売にして、奨学金の返済もしなくていい。とか、就職先を公務員として確保をしてくれる。とか、制度として今でも残っているか分かりませんが、節目ごとにお金が国や自治体から貰える。とか、そうした話は聞いた事があり、被差別部落は金持ちが多い。と言う話は聞いた事はあります。どこまで本当か?別段、部落の方に対して差別意識がなかったので、細かい内容は調べていないですし、本当だとしたら、すりーな!位の気持ちですかね。
それよりも小説でも書かれている台詞になるのかは分からないのですが、現在の階級制度とも言うべき問題点がありますよね。『まともな教育も受けられないから、戦おうと言う思想すら生まれないんだ。』このセリフに色々と考えさせられました。もちろん、義務教育はありますし、どんなにお金がなくても教科書は貰えますし、勉強をする強い意志さえあれば、教育を受ける事が出来るのですが、どこまで、そうした環境にいる当人が教育への熱意を持っているか?大いに疑問を感じます。ましてや世の中を良くしよう。と言う戦う思想があるか?見ているとどうにも逆で世の中を良くしないようにしている人達を応援している人が多い傾向があるのかな?と思いますね。
『病床六尺』
それまでは秋山兄弟の方が好きで、交友があって仲が良かったのは知っていましたが、あまり興味がなかった正岡子規。でも、松山に行ってみたら、正岡子規の事が変な話嫌でも色々と情報として伝わってきて、興味を持つようになりました。全然命に関わる話ではないのですが、自分自身も一年間ほど、自律神経を完全に壊してしまい、一年間ほど、すぐに微熱が出ては一週間寝込んだり、二日間動いては、また一週間寝込んだりを繰り返していたので、病床六尺は言い過ぎですが、寝たきりで、何もする事が困難な状態と言うのを味わっていますい、病気と言えば病気ですが、主に薬の副作用で寿命をガンガン削っている最中になりますので、正岡子規のひたむきに生きる。と言う姿に、なんとなーくですが、おこがましくも自分と重なって見えたのかもしれません。
強いて異を唱える事があるとしたら、病床の正岡子規を兄妹と母親が介護をしつつ身の回りの世話をしている事に対して愚直が書かれていて、女性にも教育が必要だ。と言うシーンがあるのですが、優先順位の付け方については教育ではなく、ある意味センスですからね。どんなに教育を受けても優先順位を頑なに間違える人は間違えます。この辺りを教育で身に付ける。と言うのは困難かな?と思いますね。介護については教育で可能でしょうが、この辺りは義務教育での教育ではなく、しないといけない段階になって、無料で受ける事が出来る機関などがあれば良いですよね。もちろん、そこに男女の違いはありません。
『銀河鉄道の夜』
昔、書籍で読んだ時も、これの何が面白いの?と思ったりしたのですが、やはり大人になってから、ストーリーを追っても、これのどこが面白いの?と言う結論に至りました。これはねー、難しい。大人になってから知ったのですが、この作品自体が、妹の死を悲しみ、宮沢賢治が樺太を訪れて、それがモデルになっている作品なんですよね。その辺りはサガレンを読んで頂きたいと思いますが、そうした事をバックグラウンドとして考えておいた上で読んでみると、また別の見方が出来て、あー、この場面が妹の突然の死を表現しているのかな?とか思ったりしたのですが、まー、作品として、面白いか?と言われたら、つまらねーよ。とは思いました。
『我が闘争』
ヒトラーのドイツ掌握をしていく過程が描かれているのですが、こんなにいつでも強気満々だったのかな?と思うので、水木しげる先生の劇画ヒトラーの方が遥かに作品としては面白いと思いましたね。ヒトラーが悪人か?善人か?そこに異論の余地はなく、子供には優しい一面を見せている時もあった。なんてのは話にはならなくて、やった事をトータル的に考えると極悪人でありますが、ヒトラーを産んだ過程をしっかりと考えていかないといかないといけないですよね。ヒトラー一人ではな、どうせ何も出来なかったのは当然ですから、ヒトラーのような人物を生まない社会的な環境を作らなくてはいけない。と言うのが個人的な感想になりますかね。
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