内容紹介
昭和史のカギを握る重要人物
昭和10(1935)年8月12日、陸軍省軍務局長室において、相沢三郎陸軍中佐に斬殺された永田鉄山陸軍少将(同日、中将に進級)。「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」とまで言われた昭和陸軍の逸材は、なぜ殺されたのか。永田が目指していたものは何か。そして、永田が生きていれば、日本は戦争への道を歩まずにすんだのか――。これらの命題に、永田の人物と構想を繙きながら、相沢や皇道派にも触れつつ、迫っていく。著者は、はじめての著作で山本七平賞奨励賞を受賞した気鋭の歴史研究者。永田家所蔵の初公開写真や遺族の声も掲載。はたして、戦争は止められたか?
<以下、目次より>
・永田の戦争観
・日本の未来を予見していた!?
・バーデン・バーデンの盟約
・日本を変えた、木曜会の方針
・天保銭組と無天組
・相沢三郎と皇道派
・永田と相沢の会話
・八月一二日、軍務局長室
・永田の死がおよぼした影響
・分かれる評価
・戦争は回避できたか
・永田構想の結末
・昭和天皇と永田鉄山
・永田であれば
内容(「BOOK」データベースより)
昭和一〇(一九三五)年八月一二日、陸軍省軍務局長室において、相沢三郎陸軍中佐に斬殺された永田鉄山陸軍少将(同日、中将に進級)。「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」とまで言われた昭和陸軍の逸材は、なぜ殺されたのか。永田が目指していたものは何か。そして、永田が生きていれば、日本は戦争への道を歩まずにすんだのか―。これらの命題に、永田の人物と構想を繙きながら、相沢や皇道派にも触れつつ、迫っていく。著者は、はじめての著作で山本七平賞奨励賞を受賞した気鋭の歴史研究者。永田家所蔵の初公開写真や遺族の声も掲載。はたして、戦争は止められたか?著者について
岩井秀一郎(いわい しゅういちろう)
歴史研究者。1986年、長野県生まれ。2011年、日本大学文理学部史学科卒業。2017年、はじめての著書『多田駿伝――「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念』(小学館)にて、第26回山本七平賞奨励賞を受賞。昭和史を中心とした歴史研究・調査を続けており、各紙誌への寄稿、講演も行なっている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
岩井/秀一郎
歴史研究者。1986年、長野県生まれ。2011年、日本大学文理学部史学科卒業。2017年、はじめての著書『多田駿伝―「日中和平」を模索し続けた陸軍大将の無念』(小学館)にて、第26回山本七平賞奨励賞を受賞。昭和史を中心とした歴史研究・調査を続けており、各紙誌への寄稿、講演も行なっている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
永田鉄山って誰だってけ?
提督の決断。と言うゲームがありまして、面白かったのですが、中国が反発をして、ゲームのシリーズナンバーが停止をしてしまいました。配慮をして陸軍を外したりしたのですが、それでもダメだ。と言う事でコーエーさんも開発を中止してしまいました。
そのゲームで陸軍があった時にも、永田鉄山は出ていなかったはずですね。あれですよ。4ではね、パワーアップキットは別になりますが、潜水艦が最強でして、日本単独でも耐えて耐えて耐えまくった後に、勝機を掴む事が出来るのですが、ドイツ単独は無理。クリアをした人の動画を見て、こいつまじですげーな。と思った記憶があります。
初期の頃の提督の決断なんて、もうすげーのなんの。核爆弾が登場をしていますからね。
2か3だったと思いますが、、ハワイ近くにいる軍艦と本土から大急ぎで陸軍の上陸舞台を乗せて、アメリカの西海岸を目指した記憶がありますね。宣戦布告と同時にロサンゼルスを攻撃。
話を永田鉄山に戻しましょう
話を書籍に戻しますが、概ね、ほとんどの人が知っている人の名前を出すとしたら、東条英機の先輩です。東条英機自体は、別にそう悪い人間でもなかったのでしょうが、昭和天皇の回顧録などで、多くの仕事を兼務して、あげくには憲兵を使い過ぎて評判を落とした。とありますね。
時々、天皇が靖国参拝を辞めたの東条英機とかがいるから。と言う、???と言う事を言う人もいますが、昭和天皇は靖国神社が政治問題として上がるまでは、毎年参拝をしていたと思います。
で、永田鉄山なのですが、東条英機よりは優秀で、根本的に器が大きい人だったみたいです。東条英機の場合、石原を更迭しましたが、永田はどちらかと言えば、上手に飼っていたみたいですね。陸軍内のゴタゴタの統一。そして総力戦に向けての各省庁の連携。永田であれば、より上手く出来た。と言う説に関しては、同意できますね。
頭角自体は出ていたのですが、昭和天皇との面識はあったのかどうか?については不明。相沢に切られてしまい、死んでしまったのですが、生きていれば、確実に陸軍のトップになっていた人でしょうね。
昭和天皇、ブチ切れ
2・26事件とか、青年将校が当時の社会情勢にブチ切れてしまい、決起をしたのですが、昭和天皇がブチ切れた話が掲載をされていました。個人的には知っていたのですが、昭和天皇自体は天皇機関説を旨としていたんですよね。まずは憲法が優先。と言う事です。
青年将校は超法規的に天皇陛下が自分達を救ってくれる。とか、自分達の思い通りに動いてくれる。と妄信をしていたみたいですが、面白いよね。追い詰められていた社会情勢が根底にあったのでしょうが、陸軍のガタガタについて、もうちょっと勉強をしてみたいですね。統制派とか皇道派とか、正直、全然分かっていないです。
誰か、その辺りが詳しく分かるよう書籍で、読みやすいのがありましたら、教えて下さい。
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