日本列島を徹底踏査した民俗学の巨人が、『古事記』『日本書紀』『万葉集』『風土記』などの古代文献を読み返し、それらと格闘の末、生まれた日本文化論。稲作を伝えた人びと、倭人の源流、畑作の起源と発展、海洋民と床住居など、東アジア全体を視野に入れた興味深い持論を展開する。長年にわたって各地の民俗を調査した著者ならではの着想を含む遺稿。(講談社学術文庫)
民俗学の巨人が遺した日本文化の源流探究。生涯の実地調査で民俗学に巨大な足跡を残した筆者が、日本文化の源流を探査した遺稿。畑作の起源、海洋民と床住居など、東アジア全体を視野に雄大な構想を掲げる。
本書の構成
- 日本列島に住んだ人びと
- 日本文化に見る海洋的性格
- 日本における畑作の起源と発展
大枠としては上記になります。詳しくは以下になりますが、本書の半分は上記に列挙をされていない、『海洋民と床住居』と『宮本常一年譜』となっています。
日本列島に住んだ人びと
- エビスたちの列島
- 稲作を伝えた人びと
日本文化に見る海洋的性格
- 倭人の源流
- 耽羅・倭・百済の関係
- 北方の文化
- 琉球列島の文化
日本における畑作の起源と発展
- 焼畑
- 古代中国の農耕
- 渡来人と農耕
日本へ来たのは誰で、どこから来たのか?
本書は民俗学の巨人である、宮本常一先生の遺作となります。途中でぶつ切れと言う事ではなく、綺麗にまとまっているのですが、最終的なチェックを繰り返して出版をされた訳ではなく、宮本先生の誤認情報などもいくつか含まれています。ただし、編集部にて訂正文言なども入れてあります。
民俗学の巨人であり、市井の人々の暮らしから日本人とは何か?を問い続けた宮本先生が最後に行き着いたのが日本の文化の形成がどこから来て、どう定着をしたのか?でしたか。私自身が生まれた年に死去をされた方になりますし、私自身も宮本常一先生の書籍を読むようになったのは、ここ数年になりますので、作品の出版をされた順番などは分からないまま読んでいます。
秦王朝との関係
昔から言われている事にはなるのかな?と思いますが、いわゆる朝鮮半島の下の部分は、九州の部族がすでに統治をしていた。そしてその部族が近畿に進出をした。そして大和朝廷が誕生をした。間違いなくそうである。と言う事を保証する担保はありませんが、恐らくはそうした形になるのかな?と思います。
そして日本の文化が概ね形作られた後にやってきたのが渡来人であり、中でも秦王朝の末裔と言われているのが、秦氏ですよね。本書によると、その秦氏が畑・畠(はたけ)にも存分に関わっており、各所で農耕の指導に当たる事になった。その為に、例えばですが、高麗氏のように、まとまって定住をしたのではなく、各所に分散をされた。そしてその事は木簡からも読み取れる。と言う事が書かれています。また、秦氏の場合に織物でも有名ですね。こちらも、はたと読む事がありますからね。
すでに日本の国家形成が概ね成された時点において、食料自給率などの底上げの為に、役立った。と言う書かれ方をしているのかな?と認識をしています。
それぞれの島での独自の文化
本書の中では沖縄についても書かれていますが、沖縄と言いますと、小さな島が非常に多くあるのですが、それぞれの島で独自の文化が形成をされていた事が書かれています。面白いですよね。当時の九州の人もそうですが、大体入れ墨を入れているんですよね。この入れ墨文化ですが、本書の中では書かれていなかったのですが、海洋文化。つまり、船で漁を行う機会が多い文化の特長でもありますね。狩猟をする民族にも入れ墨文化はありますが、陸も海も含めて、漁・猟をする民族には良く入れ墨の文化があります。
江戸時代になると、工事現場で働く人にも、こちらは背中などになりますが入れ墨を入れる文化になるのですが、こちらでは工事中に落下をして死んでしまった場合。下手したら顔から落ちてしまうと、誰か分からなくなりますので、背中の入れ墨で誰かを認識していた。と言うのを聞いた事があります。
その為、漁・猟の文化を持っている民族が入れ墨を入れていたのは、それと同じように、不幸にも亡くなってしまった場合。そして幸運にも発見をされた場合に、誰かを判別する為に入れ墨を入れていたのではないでしょうか?
そうした事は本書の中でははっきりとは書かれていないのですが、個人的には、そう感じました。
宮本常一先生が満州の建国大学からオファー!?
満州に出来た建国大学。当時の最先端の学問の結集させようとしていた大学になるのですが、そこで宮本常一先生にも助手として来てくれ。と言うオファーがあったみたいです。本書の半分程度は宮本先生の人生の列挙と、海洋民と床住居に当てられているのですが、その人生の列挙の部分に書かれていました。
これは知りませんでしたね。渋沢敬三先生が、お断りだ!と言う形で断ってしまったのですが、宮本先生が満州の建国大学で教鞭を取る姿があれば、また違った現在の民俗学があったのかもしれません。なお、本書の解説には歴史学の巨人である、細野善彦先生が寄稿をされています。
また、満州の建国大学については、以下の作品が素晴らしい作品となりますので、興味のある方は是非とも読んでみて下さい。
コメントを残す