内容紹介
◎豊かな古代史
◎街道筋の繁栄
◎日本5位730万人もの人が住む埼玉の謎は地名で解き明かす!
◎埼玉県の難読地名検定! 詳細な写真・地図つき
「古代史の彩と街道筋の繁栄」──地名から見た埼玉県の歴史と風土この「古代史の彩」と「街道筋の繁栄」の二つのコンセプトが埼玉県の歴史と風土を成していると考えるのだが、実はこの二つはどう見てもかち合っていない。言い換えれば、この二つが歴史的に結びついてこないのだ。
埼玉県は旧武蔵国の北半分を占めているのだが、現在人の意識からすれば武蔵国の中心は東京都で、埼玉県エリアはその「続き」(周縁)と思われてしまっている。(中略) 江戸・東京を中心とする歴史の見方に現代人は慣れてしまっているが、果たしてこの見方だけでよいのか。本書で明らかにしたいのは、平城京以前ではむしろ埼玉県エリ アの方が武蔵国の中心地であったという歴史的事実である。(本文より)◆「春日部」と「粕壁」 どっちがルーツ?
◆「岩付」「岩附」「岩築」どれが正しい?
◆「高麗(高句麗)人」の軌跡を追う
◆「河肥」か「河越」か?川越氏とは何者か?
◆忍城の水攻めと古墳群
◆秩父に「和銅」の痕跡をたどる
◆藁の火を焚いた伝説から?蕨市!
◆大宮の氷川神社、盆栽村、膝子塚
◆戦乱のあと寄り合った?寄居町
◆美しい草加松原と松尾芭蕉◆塙保己一、渋沢栄一、荻野吟子、下総皖一、埼玉が生んだ偉人たち
第1章 古代史に彩られた「彩の国」埼玉
第2章 現代都市 地名の由来を探る
第3章 埼玉の生んだ偉人の生地を訪ねる
第4章 埼玉県 難読地名検定
内容(「BOOK」データベースより)
全国5位730万人もの人が住む埼玉の魅力が地名でわかる!!古代史・街道筋の謎を解く!著者について
谷川彰英(タニカワ アキヒデ)
1945年長野県松本市生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現筑波大学)卒、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士の学位(筑波大学)を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。文献を丹念にひもとき、実際に現地を取材する手法に定評がある。テレビ・ラジオなどでも活躍。日本地名研究所前所長。筑波大学名誉教授。著書に「地名の由来を歩く」シリーズの他、『47都道府県・地名由来百科』(丸善出版)『戦国武将はなぜその「地名」をつけたのか?』(朝日新書)など多数。著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
谷川/彰英
1945年長野県松本市生まれ。ノンフィクション作家。東京教育大学(現筑波大学)卒、同大学院博士課程修了。柳田国男研究で博士の学位(筑波大学)を取得。筑波大学教授、理事・副学長を歴任するも、退職と同時にノンフィクション作家に転身し、第二の人生を歩む。文献を丹念にひもとき、実際に現地を取材する手法に定評がある。テレビ・ラジオなどでも活躍。日本地名研究所前所長。筑波大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
個人的な読んだ感想
埼玉県民としては、書店に行けば、こちらの本が山積みをされているのを見た事がある人も多いと思います。実際に私も書店で山積みをされているのに気が付いていましたし、気になっていました。そこは埼玉県民ですからね。
ただし、いくら埼玉県民と言えども、全ての地域に興味がある訳ではないですよね。三郷に住んでいる知り合いなどが、自分の事を東京都民とほぼイコールみたいな感覚を持っている人もいますし、住んでいるエリアによって、その辺りの感覚には違いがあると思いますし、出身地に関しても温度差があると思います。
個人的には東武東上線を一番利用してきましたので、その辺りの沿線エリアに関しては、一番興味があるエリアになるのですが、残念な事に、その辺りに関しては、ない事はないのですが、情報量としては少な目な印象を受けました。
本書を読んで、え?そうなの?と思った点
- 全国的に人口が減少をしている中、埼玉県は人口が増加をしている
- 狭山市立入間小学校、入間市立狭山小学校がある事
- 盆栽村の存在自体と出来た時の掟らしきもの
また、興味深かったのは霞ヶ関ですね。これ、埼玉県民以外は知らない人も多いと思いますが、東武東上線には、霞ヶ関と言う駅があります。
私は小学生位までの時、いつもそこに国会議事堂があると信じていました。なので池袋まで行く途中にちょっと緊張していましたね。
中学生になり、流石に違う可能性が高いぞ。と気が付き始めたのですが、それまで信じていた事が否定をされる瞬間って怖いじゃないですか?なので信じたくない。と言う気持ちだったのですが、英検の面接受験の際に2次試験の会場が東京国際大学だった訳です。
ね?霞ヶ関駅の近くに東京国際大学があるんですよ?小学生なら、東京だって思うでしょう?
とにかく、面接の試験の為に初めて霞ヶ関を降りたのですが、今はどうか分かりませんが、絶対にこんなインパクトがない駅前の通りに国会議事堂はない。と電車を降りてすぐに、それまで信じていたものが違った事を認める事が出来ました。
無事に二次試験も通過をしたのですが、とにかくそうしたほろ苦い思い出を読みながら思い出す事が出来ましたね。
埼玉偉人が紹介をされている
タイトル的には地名に関してのみと思ったのですが、終わりの方に埼玉の3偉人として挙げられている人物についても紹介をされていました。塙保己一・渋沢栄一・荻野吟子の三人ですね。
ちなみに荻野吟子については記念館も訪れていますので、興味のある方は以下からお願い致します。
荻野吟子記念館に行った時の記事はこちら
どうでも良いですけど、最近は渋沢栄一が熱いですね。
こちらのハーバードの教授の中でも渋沢栄一を見直している傾向が出ているみたいです。岩崎弥太郎はアメリカでも人気が高いのですが、岩崎弥太郎は勝者総取りの資本主義の象徴となっているのですが、対して渋沢栄一は道徳経済同一説を掲げていて、どう言う事か?と言われても、簡単に言うと岩崎弥太郎は稼げればそれで良い。対する渋沢栄一は、企業が稼ぐ事を目的とするのは当然として、その前提に道徳がなければならない。と言う事ですかね。
言われて見れば当たり前の話なのですが、アメリカの金融系の会社を見ていると、そもそも道徳なんてものは端から何それ?と言う状態になりますし、日本でも労働基準法?何それ?と言う会社が増えていますので、道徳なんてものが捨てられているからこそ、見直されているのではないでしょうか?
大体、人間ってのはある時には求めないで、なくなってから求めるものですからね。まー、でも、企業と言う公の組織が道徳を根底からなくしてしまっているのは、やはり不味いですかね。そうした影響もあり、今までのやり方が間違っていたみたいだぞ。と言う事で、対立軸として存在をしていた人がクローズアップをされる。と言う分かりやすい形にはなると思います。
最近は渋沢栄一が自分の中でも、興味度合いが高まってきましたので、そろそろ深谷の記念館とかに行ったり、渋沢栄一に関する書籍も読んでみないといけないかもしれませんね。
銀行とか商業関係の礎を作った人でしょ?と言う認識はあったのですが、しかしながら、それが、今はどうか?と言われたら腐敗をしていますからね。そのせいもあって、あまり渋沢栄一には良いイメージがなかったのが正直な所ですが、腐敗しているのでは?と思える状況を作ったのは渋沢栄一のせいではないでしょう。
見た目がどうしても地味で渋沢栄一と言えば、禿頭で、こんなオジサン、電車に乗れば必ず1車両に一人はいるぜ。と言う印象なので、この見た目が地味すぎるのと、高齢の時の顔しか有名ではないのですからね。それでも若い時には当たり前ですが、ちょんまげ頭で、高崎城のっとり計画を立てていたり、意外と血の気の多い青年期だったみたいです。
取り合えず、渋沢栄一とAmazonで検索をしてみたのですが、かなり最近出版をされた本で、こんなのがありました。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
渋澤/健
1961年、渋沢栄一の玄孫として生まれる。1983年テキサス大学化学工学部卒。1987年UCLA大学でMBA取得。米系投資銀行で外債や為替などの運用に携わった後、1996年に米大手ヘッジファンドに入社。2001年に独立し、シブサワ・アンド・カンパニー設立。2008年コモンズ投信を立ち上げ、会長に就任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
著者は苗字からも分かる様に、渋沢栄一の玄孫です。
お!となったのですが、あれ?およそ、渋沢栄一の教えの中にある道徳を根底とした経済とは無縁だと、私の中で勝手にイメージをしているアメリカのヘッジファンド会社で働いていた。と言う事で、急速にこの時点で、この書籍に対しての興味は薄れましたね。読んでもいませんが、恐らくこの書籍に渋沢栄一の魂は入っていないのではないか?と個人的には思いました。
もう一人の偉人が紹介
本書の終わりの方にある、埼玉偉人の中では、もう一人の偉人として著者が選んだ人物である下總皖一が取り上げられていました。
ごめんなさい。誰ですか?
結論を言えば作曲者なのですが、代表曲は『たなばたさま』、『野菊』、『花火』、『蛍』、と言う事です。ごめんなさい、やっぱり分かりません。となるのですが、本書によると、それなりに年齢が高い人であれば知っている人も多い曲だそうです。
しゃくなので、調べてみたら、普通にありました。そして聞きました。やっぱり分かりませんでした。メロディーを聞いたら、何となく聞いた事があるのかな?と思ったのですが、童謡ってメロディーが大体こんな感じなので、たぶん聞いた事がないと思います。
これが偉人か?と思って、それなら、俺が独断と偏見で4人目を選んでやる!と息巻いて埼玉出身の偉人を検索してみたら、驚きましたね。
http://www.pref.saitama.lg.jp/a0305/ijintop.html
まさかの埼玉県公式サイトで、ほぼ認定済みでした。嘘でしょう?だとしたら、埼玉県の告知不足です。税金を返しなさい。
取り合えず、埼玉県の公式サイト内から地域ごとに名前を残した人が見れるのですが、全部見てやろう!と思ったら、途中で面倒になったので、もう奥貫友山で行きましょう。
寛保2年(1742年)8月、関東一円に台風がもたらした大風雨があり、荒川・利根川などの河川が決壊氾濫して江戸時代最大の大洪水が発生した(寛保の大洪水)。川越藩領内でも被害は28村に及び、被災民の数は近郊を含めると10万人を超えた、という。
友山は率先して救助にあたり、米25俵、麦70石、雑穀266石等の自己私財すべてを農民に拠出、自ら粥を作って振る舞い続け、1万6000人の命を救ったという。さらに自らの田畑を江戸商人に質入し、その金で食糧を買い続け1年に渡って窮民を救援し続けた。最終的に48ヶ村の10万6千名の命を救ったとされる。自費で水塚と呼ばれる植林を続けた。また江戸に出て師の錦江を通じて幕府に防災策を言上した。川越城主秋元涼朝は狩野周信筆の鷹絵1幅などを贈り友山を高く賞した。
その後、明和元年(1764年)、武蔵国から信濃国一帯に発生した大規模な一揆(中山道伝馬騒動)では、村内で奥貫家だけが打ち壊しを免れたと伝える。
天明7年(1787年)11月10日、80歳で没した。墓は川越市大字久下戸にある。
ね?立派でしょう?
熊谷ってそうだったの?
熊谷って熊谷次郎直実が治めた土地だから熊谷。と思っていたのですが、どうにも違うらしく、熊が住んでいる谷で熊谷らしいです。で、次郎直実の父親である直貞が熊退治をして土地を貰った。と言う事で、どうにも、その苗字を貰っただけで、極端な話、熊を退治した人が、自動的に熊谷の苗字を貰っていた可能性が高く、熊谷次郎直実のせいで、熊谷と言う名前になった訳ではないみたいです。
元の苗字は?と言う話ですが、なかったのではないでしょうかね?
熊谷はかなり自分には身近なのと、熊谷次郎直実の名前から熊谷と言う地名になった。と思っていたのですが逆だった事が新鮮でしたね。
行ってみたいと思った場所
本書を読んで、行きたい!と思ったのは草加松原ですね。時折写真が白黒で掲載をされているのですが、え?こんな良い感じの場所があったの?と思えたのが草加松原です。近くだった、なるべく早めに行こう。と思ったのですが、草加ってどこ?と思って調べたら、普通に遠かったです。あまりにも馴染みがない場所になりますので、地図的な位置が不明でしたが、ほぼ東京ですね。
秩父の件
秩父が元々は独立国だった!と言う事は知りませんでしたが、うーん。でも、今もね。半分以上は独立国みたいなもので、利便性の関係上、日本の貨幣や紙幣を使っているだけで、秩父はね。
熊谷駅で言えば、JRの改札口は平成!と言う感じですが、秩父線の改札口は大正ロマンを彷彿させる雰囲気を醸し出していますからね。何でこんなに違うものか?と言う疑問を感じます。
それでも秩父には嫉妬しましたね。本書の中でも大々的にページ数が確保をされているのですが、私の住んでいる東松山は、最後の巻末のおまけ的な感じで収録をされている、これは何と読むでしょう?と言うコーナーで箭弓神社の箭弓が出ているだけで、それ以外、一切登場をしていません。
でも、良いんです。鳩山町やときがわ町は、一切出てこないですし、坂戸市も一切登場をしていません。坂戸に勝ったぜ!と言う勝利感を最後に私に味合わせてくれただけでも、十分に満足です。
BookLiveで読めます!
こちらの作品はBookLiveと言う電子書籍サイトで読む事が可能です。初回入会の際に、半額クーポンを貰えたりします。また電子書籍に慣れていない人でも入会前に試し読み機能を使う事は可能となりますので、取り合えず、サクッと自分にマッチをしているかどうかを試してみるのが良いと思います。
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