江戸のいちばん長い日 彰義隊始末記

江戸のいちばん長い日

江戸のいちばん長い日

日本のいちばん長い日と言えば、終戦決定の日を扱った名作がありますが、そちらをオマージュしたタイトル作品ですね。あまり大きく扱われる事がない彰義隊について中心に書かれている書籍であり、当たり前の事を思い出させてくれたり、知らなかった事を教えてくれました。

昔の寛永寺はでかい

これ、当たり前の話なのですが、大体昔からある神社って、今の神社よりもかなりでかいです。当たり前なはずなのに、ついつい忘れてしまう点になりますし、彰義隊と言えば知っている知識は寛永寺にたてこもって戦ったけれども、一日で鎮圧された江戸、最後の対抗戦。と言うイメージだったので、ほんわかと小さめの神社に、せいぜい数百人程度の悪あがき。と言うイメージがあったのですが、実際には違います。

かなりでかい敷地で千人を余裕で超える、武将集団が立てこもっていた訳ですね。江戸まで勿論ですが一日で余裕で到達可能な距離で、こうした武装集団が立てこもっている。と言うのは、かなりの威圧感が新政府側に与えていたのでしょう。

実際に、戦争当日には寛永寺の外に出ていて、戻れなくなってしまい、寛永寺で新政府軍と戦ったのは1000人程度だったらしいのですが、それでも、これまで自分の頭の中にあったイメージよりも、規模の大きな話でした。

高村光雲とな?

高村光雲と言えば、高村光太郎の親父ですが、当時江戸に住んでいて、彰義隊との決戦の前日の話とか、当時を知る人の生々しい証言とかありましたね。こうした証言って大変貴重ですよね。他にも江戸の町民達の新政府側軍に対するイメージや彰義隊に対するイメージの証言が残されていて、へー。となります。

その他、最近つとに有名になった渋沢栄一の従兄弟が彰義隊の結成に関わっていた。と言うのも知りませんでしたね。渋沢栄一先生自体も、血気盛んで結局は取りやめになりましたが、高崎城を武力で乗っ取ろうとしたり、その当時の人には多かったのでしょうが、色々と今の価値観だと、すげーな?おい?と言う人も多かったのでしょうね。

最新兵器で勝負に決着
船に付けて使うアームストロング砲を陸上からかっ飛ばす。と言う、最高にあぶねー兵器を西郷側が使った事で、それなりに粘っていたらしい彰義隊も壊滅の時を迎えます。そりゃ、本陣に幾ら頑張って届かない距離から砲撃をされたら、無理でしょうね。

結局、彰義隊の戦いは半日も経過をせずに終わってしまうのですが、残ったのは無政府状態となり、寛永寺周辺での火事場泥棒だったみたいです。ほー、日本人のモラルをやたらと美化する風潮がありますからね。別に世界に比べて劣っていた。とは思わないのですが、いつの時代も日本人のモラルを世界に誇るレベルではない。と思いますけどね。

第二次世界大戦の終戦後のゴタゴタが少なかったのは、今でも台風だから自分の頭で考えれば分かるだろう。と言う話なのですが、会社から何もないしー。と言う事で動いている姿と同じで、天皇陛下が終戦って言ったら終戦なんだよ。と言う事で、抵抗をしなかったのも大きいと思いますよ。

良く言えば躾がされている。悪く言えば自分で考えて行動をする事は少ない。集団生活がベースになっていた民族。と言う感じですね。別に悪い意味はないです。

彰義隊がちょっと出てくる漫画

彰義隊がちょっとですが出てくる漫画があります。手塚治虫の『陽だまりの樹』になります。彰義隊を中心に扱っている訳ではないのですが、主人公が二人いますが、片方の不器用な武士が最後に彰義隊に参加をして、亡くなります。本当になくなったか?については、正確には不明。彰義隊の生き残りは結構いたみたいです。

片方の主人公は医者になるのですが、読んだ事がない人にはお勧め作品となります。

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