
サル化する世界
1950年東京生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
思想家、内田樹先生は終わったのか?
下流社会から10年以上。昔読んでみた事があるのは間違いないものの、中身は全て記憶の彼方へ消えてしまったのですが、何となく読んでいて、頭の良い人だな。と言う記憶だけは残っている。
もう大分前の話になるのですが、Twitterはどうやって金を稼いでいるのであろうか?と言う話し合いになり、ユーザーのデーターを他社に提供をしているのだろう云々。と言う話になった。と言う事で、軽い炎上を起こしたのを覚えている人もいるのではないでしょうか?
その際には、終わった知の巨人。と言う言い方をされている人も多かったと思いますが、これはフェアではない。誰だって専門分野では、他の人よりも知識量としては有利なのであって、それは当たり前の話。内田先生は自分の馴染みのないジャンルについて考えて、取りあえずの結論を出してみたけれど、それが間違っていただけの話ですね。
全くもって、大した話ではないのですが、私にも大学受験時代と言うのがありまして、日本史だけであれば偏差値としては70とかありましたので、それこそ、東大生の中には私よりも日本史ではテストの点数で劣る訳ですが、だからと言って、私がトータル的に上か?とと言う話であれば、全く違う訳でして、事実として東大を受験するレベルですらありませんでした。
こうした局地戦において勝利をしても、トータル的な勝利とはならない。これは、言い方を変えると、本書の中で出てくるサル化する世界に共通をしている部分になるのかな?と思います。
一応、本書の中では朝三暮四のサルの話から取っている説明がなされています。
結論として、全部において、同意をする事は容易にはする事が出来ませんが、全くもって、知の巨人は終わっていないですね。非常に刺激的な書籍でしたし、綺麗な文章となってました。少しカタカナが多くなっているので、そこに読み辛さを感じる人も多いと思います。
日本の戦争の総括
私個人が内田先生と自分の違いを感じたのは、この日本の先の大戦の話ですね。日本は戦争に負けた。と言う部分では、何も反論をする事がないのですが、日本の戦争が何故起きたのか?そうした点の総括であったりをきちんとしていない。と言う話ですかね。
他にも慰安婦について、などでは個人的には、うん?と思える点もあるのですが、日本が戦争を起こしたとなっていますが、戦争は相手がいないと出来ないのが常です。
日本がアメリカを、どう支配をしていくか?そうした事を検討した痕跡がない。だから、勝てるはずがない。勝てるはずがない戦争を何故起こしたのか?総括をしていく必要性。と言う話なのですが、日本はアメリカと戦争をしたくなかった。アメリカが戦争をしたかった。と言うのが、私の前提になります。
なので、日本としてはアメリカとの戦争。なんてものを、用意周到に準備を本気でするつもりはなく、外交努力で溝を埋めよう。と画策をしている間に石油を封じ込めれてしまい、勝手にタイムリミットを設けられてしまい、戦争に突入をせざるを得ない状況になってしまった。と言うのが個人的な大まかな考えです。
そもそも、ソ連もあれこれと画策をしていた。と言う話もありまして、その辺りは以下の作品で詳しいですね。
いわゆる、日本の戦争責任論と言う話であれば、内田先生と同じであろう、日本を中心にした考え。と言うのは、もう幾らでも聞いてきたのですが、やはり戦争になる訳ですから、相手国がどうだったのか?と言う視点も入れていかないといけないのでは?と思います。日本の戦争と一言で言っても、まー、色々ありますので、日米に限って言えば、明らかにアメリカが戦争をしたくて仕方がなかった。と言うのは、事実なのではないでしょうかね?
アメリカの復元力
戦争は相手があってこその話になるのですが、自国の話にある程度は限られるのが、この復元力ですね。
ベトナム戦争を例に出して、その当時の日本人の対米視点。その後のアメリカ文化の享受など、生まれていないタイミングの話になりますので、へー。そうだったんだ。と参考になる部分が多かったです。書かれている通りに、アメリカは映画などを通して、自分達の葛藤を描くのが変な話、得意ですよね。
ダークナイトだって、イリーガルかもしれないけれど、正しい事をして、市民を守っているはずなのに、最終的には警察に追われてしまう。イラク戦争のアメリカ人の葛藤を忍ばせつつ、エンターテインメントとして、非常に高い作品を作りだす事が出来ていると思います。
本書の中でも書かれているのですが、もしもこれを日本国内でやったらどうなるか?そもそもの対政府へのアピールや手法が、日本人は上手くない。と言うのがあるのですが、安倍政権の突撃隊みたいな連中が来て、よってたかって叩き潰す。と言うの事になると思います。
叩き潰されてしまうから、上手くしていく手法が中々蓄積をされない。と言うのもあるかもしれませんね。
おこがましい事に、内田先生に反論なんぞを書いてしまったのですが、割と広範囲に渡った内容となっていますので、それぞれに自分の現時点での考えなどを整理する事が出来ました。勿論、知らない事も多く書かれていて、知識の補充にもなりましたが、そこは思想家の内田先生の書籍になる訳ですから、思想方法を盗ませて頂きながら、自分の糧にしていきたいですね。
最近、森友学園問題で、近畿財務局の赤城さんの奥様が声を上げた事で、週刊文春を時々購入をするようになりました。そこで、内田先生が連載を持っていて、安倍政権の批判をしていたのですが、自分と方向性は一緒でした。違う部分も多いだろう。と言う事を前提に、こちらの書籍が販売をされる事も知ったので、読んでみたいな。と思っていたのですが、読んで良かったですね。
コラム形式となりますので、読みやすいのですが、中々タフな文章量になっていますので、想定をしていたよりも、読む時間は掛かりましたが、作品としては非常に良い作品だと思います。
あまりにも真逆な考えを持っている人の書籍を自腹で購入をするのは、精神的なハードルの高さがあるのは事実となりますので、安倍政権を支持している人にも読んで貰いたいのですが、難しいでしょうね。
検察の定年問題で、強行採決をすべき!むしろしないと民主主義の終わり!と嘆いている安倍政権、応援団のカリスマの一人が言っていたのですが、全くもって、ずれている話で、民主主義と多数決は別段イコールではない。と言う当たり前の話も書かれています。
安倍政権を根っから支持をしている人は、自分と、どこが違うのか?それを知りたいのですが、上述をしているように、自分と真逆の人の書籍を自腹で購入をするのは、精神的なハードルが高い訳です。その為、全てが全てではないのでしょうが、今回、こちらの書籍を通して、民主主義と多数決を混同しているのが、一つの違いなのかな?と言う推測をする事が出来ました。
大まかに言えば、民主主義は話し合いで、多数決は単なる採決手法です。
議席を有しているから正義。と言う考え方を持っているのかもしれませんが、そうした数字だけに頼ってしまうと、自民党に投票をしている人の方が少数派になる訳でして、自民党の案は全て却下をしても良い。と言う理屈も通ってしまいますからね。
いずれにしても、どの政党が政権を握っても、それを耐えず、批判すべき点において批判をしていく野党があり、政権が失敗をした特の検証を都度行っていく事で、次はより良くなるようなプロセスを踏んでいくのが大事な点であり、内田先生のこの指摘は、全くもって全面的に賛成ですね。
教育論
終盤に教育論が展開をされているのですが、これがもう、全く持って同意です。日本の場合の特に英語に関しての学習と言うのは、英語と言う言語を通じて、他国の文化を深く知ろう。とか、そんなのではなく、本書の中ではユニクロのシンガポール店の責任者と書かれていますが、その通りですよね。
文部科学省も、英語を使えないと仕事で相手にされないぞ。だから英語は必要なんだ。と言う恫喝をまず真っ先に掲げているのですが、この部分を読んで安冨先生の主張を思い出しました。東大に入るような人やエリート官僚は死ぬ。と思っている。と言う話ですね。
これは詳しくは安冨先生のツイートを見るなり、適当にやってくれ。となるのですが、エリート官僚は受験などでは失敗したら死ぬ。と思っていた。安冨先生本人も、この論文が賞を受賞出来なければ死ぬ。と思っていた。と言う話をしています。それだけ自分を追い込んでいるので、学歴と言う点などでははたから見ると成功をしている。と言う事になるのですが、これが不思議と接点がおよそないでろう内田先生とリンクをしていますね。
自分が死ぬと思いながら勉強をしてきたから、受験で結果を出せた。流石に死ぬと言う表現は出来ないけれど、英語が出来ないとビジネスで相手にされない、あるいは不利益を被りますよ。と言う恫喝表現になるんですね。
そんな感じで、金の為だけに勉強をしろ。と言われて果たして知的好奇心を刺激して、真っ当な意味での勉強をする事が出来るか?出来る訳ねーだろう。と言う話です。
正しく、それぞれの書籍を理解していないだろうけれど、色々と本を読んできた結果、点と点がふと繋がる時があって、自分としては気分が良いですね。
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