1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論会の様子を軸に、三島の生き様を映したドキュメンタリー。1968年に大学の不正運営などに異を唱えた学生が団結し、全国的な盛り上がりを見せた学生運動。中でももっとも武闘派とうたわれた東大全共闘をはじめとする1000人を超える学生が集まる討論会が、69年に行われた。文学者・三島由紀夫は警視庁の警護の申し出を断り、単身で討論会に臨み、2時間半にわたり学生たちと議論を戦わせた。伝説とも言われる「三島由紀夫 VS 東大全共闘」のフィルム原盤をリストアした映像を中心に当時の関係者や現代の識者たちの証言とともに構成し、討論会の全貌、そして三島の人物像を検証していく。ナビゲーターを三島の小説「豊饒の海」の舞台版にも出演した東出昌大が務める。監督は「森山中教習所」「ヒーローマニア 生活」の豊島圭介。
熊谷に三島がやってきた
緊急事態宣言解除を受けて、大分、人が戻ってきましたね。反国家を掲げる私としては、緊急事態宣言下の熊谷。と言うのをどうしても見ておきたくて、解除をされる前に一度熊谷に行ってみたのですが、驚く程、人がいませんでした。
で、解除をされたら、沢山の人が戻ってくるだろうから、薬を飲んでいる私としてはリスキーになる訳でして、あまり熊谷に、今はまだ行きたくない。と言う感じだったのですが、どうしても手帳を買わないといけない。と言う気持ちに駆られてしまい、他に何も手に付かない状態になってしまったので、仕方無しに熊谷へ。
いつも購入をしている本屋で手帳を購入するだけのはずだったのですが、あれこれと書籍も結局買ってしまいまして、その道すがら映画館も復活をした事を知り、ついでに何がやっているのかな?俺のドラえもんはいつかな?と思ったら、三島由紀夫が来ていましたね。
待ち時間が一時間を超えていて、どうしたものか?と思ったのですが、そもそも、この映画、熊谷のいつも行く映画館には配給をされない。と思い込んでいたので、こりゃ、見ないといかんな。と言う事に、自分の中でなりましてね。結局見たんですよ。
難し過ぎる
これはね、やはりタイムリーに見ておかないと、使っている単語についても、すでに死語になっている単語もありますからね。一応は映画でも説明書きとかは出てくるのですが、当時の背景などを体感しておかないと、本当の意味での理解は、まず出来ないでしょうね。
あまりにも激動する1960年代と言う時代、キューバで革命が成功をして、ベトナム戦争も始まったり、と言う流れで、圧倒的に反米感情が高まりを見せている状態になります。まず、その時点を想像するしかないですよね。個人的にタイムリーで感じたのはイラク戦争になりますが、日本は完全に米軍についていったのですが、あの戦争は完全に間違いでしたよね。でも、世間的には、どうでも良い位の感覚だと思います。
そんな難癖をつけて、他国を攻撃するアメリカと、より緊密に戦う。そんな集団的自衛権を憲法無視で強行採決とか、三島由紀夫が見たら、どう思うんだろうか?
これは劇中でも、登場をしていて、自分的には、ほぼタイムリーだったのですが、内田先生が登場をしていて、東大全共闘も三島由紀夫も、どちらも反米愛国と言っていたのですが、三島由紀夫は別にして、東大全共闘も、自分の中では、やっぱりそうだったんだな。と思いましたね。この世代の事を自分なりに、ちょっと調べてみた事もあるのですが、安保反対ってのは、どう考えても反米愛国なんですよね。集団的自衛権に賛成の人って、アメリカの保守じゃん?
芥と三島のやり取りが一番作品の見所になるのかもしれませんが、個人的には何を言っているのか、さっぱりでした。お互いに、そもそもズレがあって、平行線を辿っている印象を受けたのですが、途中で登場をする、芥に対して、お前の言っている事は違うだろ。と言うのは、一番自分にぴったりきましたね。
いずれにしても、凄く難しい内容になっていて、激論と言われている事は理解出来ました。
暴力を否定しない
これはね、蛇足になるのですが、その時々、自分が感じた事をねじ込んでいきたいのですが、このページをどのタイミングでうっかりと見ているのか?それは分からないのですが、取り合えず、上にも書いているように、緊密事態宣言が解除をされて、一週間とか、そこらになります。
で、安倍政権のゴミ屑ぶりが、ようやく国民にも広く知れ渡ったみたいで、支持者が離れているタイミングになるのですが、その過程で安倍政権批判が何度かSNS上で起こったりしたのですが、それに対してね、言葉が暴力的とかでーとか、中立を装った支持者が言うんですけど、鼻くそだよね。
良い人を演じたいのか不明なのですが、頭は悪いのは間違いないですかね。別に野党の肩を持つ気なんて微塵もないですし、彼らが普段何を言っているのか?も別に聞いていないのですが、この当時の保守と言われていた三島の言葉としては、右だろうが左だろうが、暴力を否定しない。とはっきりと言っています。
今も、黒人暴動がアメリカで起きているのですが、こんなのは随分前から言われていても、一向にアメリカが治らない。それに黒人が切れて暴動。と言う流れで、また別の組織も絡んでいたりと、事態は複雑怪奇な様相になっていますが、ここでも、もっと言葉使いを。。とアホが言う訳です。
普段から言っているのに聞かないなら、暴力に頼るしかない。と言うのが本筋の流れで、この映画の当時はキューバ革命の余熱も充分で、ゲバラも革命は銃口からしか生まれない。と言う発言をしていますね。
右だろうが左だろうが、命を掛けている人は、総じて暴力を否定していません。暴力には反対であって、話し合いで解決が可能なら、話し合いでするに越した事はないのですが、相手が話し合いすらする気持ちがないなら、暴力を使うしかないでしょう?そんなの当たり前だよね。と言う気持ちがあるのですが、俺がおかしいのかな?今時、野党だって自衛隊を解散させる!なんて言っていないじゃない。
憲法改正のタイミングは失った
度々、政治的な書籍では、書いている記憶があるのですが、個人的には、もう憲法改正はしなくて良いよ。と言う気持ちです。
もうね、ハードを変えても、ソフトがクソだから変えない方が良い。と言う判断ですね。しかも、安倍政権で変えるなんて、正気ではないでしょう?話し合いが通じない内閣なんだから、立憲主義に基づいて、憲法の議論。とか出来る訳ないじゃん?安倍政権が出した憲法を飲むか?飲まないか?選択肢はそれだけで、それは無理無理。で話は終わりです。
で、憲法改正の争点は九条と自衛隊のあり方なのですが、集団的自衛権の時には、同盟国なんだから云々で、アメリカを助けて当たり前。と言う話なのですが、だったら、グダグダ言っていないで、憲法違反してまで集団的自衛権を飲んだんだから、アメリカにも日本にある米軍基地と同じだけの面積の自衛隊基地を作ってこいよ。と思いますが、絶対に言わないでしょう?属国化が完全に完了をしたんでしょうね。
三島由紀夫の割腹自殺をしたタイミングで、日本の憲法改正のチャンスは無くなったのではないでしょうか?当時はまだソ連があり、米国も無茶苦茶を言えなかった時代。するりとアメリカと距離を置いて、日本が日米委員会を廃止して、本当の意味での自主外交が可能となる、独立国になる好機は、もう来ないんでしょうね。
そんな事を見終わってから、色々と考えさせられた作品でした。
→映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』公式サイト
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