最古の仏典を、難解な仏教用語を使わずに日常語で全訳
インド北部に生まれた王子は、人の苦しみを乗り越える道を探るべく、29歳で裕福な生活を捨て、修行の旅に出る。そして6年ののちに「目覚めた人」すなわちブッダとなると、残りの生涯を説法に捧げた。人々の質問に答え、有力者を教え諭すブッダのひたむきさが、いま鮮やかに蘇る。
改めて認識すべきことは、ブッダのことばを初めて耳にした人たちは誰一人として仏教徒ではなかったということです。ブッダは、耳で聞いてわかる、やさしい日常語で、あらゆる階層、境遇の人々に話しかけました。けっして「仏陀」、「沙門」、「煩悩」、「涅槃」といったとっつきにくい難解な用語ではありませんでした。 (「訳者によるまえがき」より)
奥深いブッダの言葉
あらゆる苦しみはどこからくるの?様々な形でブッダが質問をされて、答えていく問答集。と言う形式となります。元々のスッタニパータを口語訳を意識して翻訳をしたようです。
不思議な事に、日本ではこの『スッタニパータ』と『ダンマパダ』については、日本で翻訳をされて普及をされたのは、かなり新しい部類になるみたいです。1900年以降ですね。日本でブッダの言葉を探していた人達の間で普及をして、その人達の中には宮沢賢治もおり、あの有名な詩にも影響を与えているのではないか?と翻訳をした今枝由郎さんが解説で書かれていますが、確かに影響を受けている印象は受けますね。
本書を読む事で得られる事は何か?非常に難しいですね。ブッダの言葉をどう受け止めるか?によるのですが、ブッダ自体は『目覚めた人』と言う意味で人名ではないので、精神世界においては、ブッダは世の中に沢山いるかもしれません。
得られる事?それは若干のヒントでしょうかね?それぞれが、それぞれの立場での迷いや苦しみがあるので、この点については、特に自分は関係ない。と言う部分もあれば、この点は、まさに迷っていた所だった!と言う箇所もあると思います。
また、生き方として孤独に生きよ。と言う事が書かれていて、これには個人的には同意をしたいですね。ブッダの言葉をそのまま受け取ると、迷いを断ち切り死ぬ事で、救われる。と言う印象を受けてしまい、現代価値観としては、そこの所はどうなんだろうか?とやや個人的には疑問に感じる部分もあります。
ただ、悪人については今も昔も変わっていませんね。
起こった事を起こらなかったと言う者は地獄に堕ちる。また、自分でしておきながら『自分はしませんでした』と言う者も同じである。両者とも卑しい人で、死後同じ運命にあり、地獄に落ちる。
本書240ページ
何年も、どこかの国で総理をやっていた人物がスッと頭に思い浮かぶ人も多いのかな?と思いますが、かの人は、仏教と言うよりも、認定をされていなキリスト教と古くからの付き合いがありますからね。あそこの教団の教えについては、全く把握をしていないのですが、きっと上記のブッダの言葉とは真逆の教えを解いているのではないでしょうか?
デマを流してでも、野党のせいにして、野党はだらしないの大合唱をさせて、世論誘導をして、自分の敵を叩き潰していたから、後継者が無能。誰がやってもあいつよりはマシだろう?と思っていたのですが、尻拭い政権となり、前回と同様に1年で終わりましたね。かの人の後は必ず尻拭いをさせられて長く持たないですからね。
そう言えば、あの会社の弁護士も降りましたね。自分達の回線だけれども、やったのは自分達ではない。と発言をしていたのですが、圧力でもあったのでしょうかね?やったのは社員で年単位。ほぼほぼ毎日Twitterで投稿をしていて、社員は10名程度で気がつきませんでした。ついにで、プロバイダーの開示請求を食らっても、社内調査をする事もなく、裁判開示の前に社員全員でバックれ。社長は近所の自宅に籠城。社員が勝手にやっていて、社長としても組織としても知らぬ存ぜぬ。は流石に無理。と言う事で、弁護士が降りたんでしょうね。地獄に落ちるでしょう。
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