謙信×信長 手取川合戦の真実

謙信×信長 手取川合戦の真実

天正5年(1577)、上杉謙信軍と織田信長軍が加賀・手取川で激突。史料に乏しく「幻の合戦」と目されている手取川合戦である。もともと謙信と信長は長らく友好関係を結んでいた。両者は何を理由に友好関係を結んだのか。それがなぜ破綻して軍事衝突することになったのか。合戦後両者はどうなったのか。
本書では気鋭の歴史家が、両雄の生涯を史料に基づいて丁寧に綴り、最後に手取川合戦の経緯を復元。「手取川で最後まで奮戦したのは羽柴秀吉だった」「謙信が企んだ上洛作戦の全貌」などこれまで誰も気づかなかった新事実を語る。

■正戦思想の発露/■村上義清の隊形から発展した「車懸り」の戦法/■謙信と信長の軍制/■太田牛一の『信長公記』誤記の謎/■信長は天下を望んでいたわけではない/■幕政から逃げるための「殿中御掟」発布/■魔王・信長の誕生/■信長を見限った謙信/■手取川合戦の全貌

信長公記を書いた太田牛一のせいです

手取川合戦。織田信長と上杉謙信が戦った合戦になりますが、他の合戦と比較をして、著しく一次資料が少ないみたいです。それが何故か?と私に聞かれても困るのですが、まず、本書ですがなげーよ!と思いました。前述をしているように、手取川合戦自体の資料が少ないせいもあるかと思いますが、割合としては、手取川合戦に至るまでの経緯が中心となっています。

織田信長が元々は権威を大切にしていて、イメージをされている隙あらば乗っ取り、すげー冷酷な人。と言うのは、実はそうでもないよ。と言うのは、前々から別の書籍でも書かれているので、その辺りは、はい。と言う感じでしたかね。本書では書かれていないのですが、手取川合戦の後に上杉謙信が死んでから、織田信長は苛烈になっていった印象は受けますね。その辺りはNo.1がいなくなり、すげー調子に乗り始めた。と言うのが個人的な感想ですね。

で、漫画の仙石シリーズを好んで読んでいて、全巻所持をしているのですが、手取川合戦についても書かれていたのですが、本書で紹介をされている形とは違う形となっていましたね。本書で書かれている説にも説得力がありますし、仙石シリーズで描かれている手取川合戦も面白い内容となっていました。どちらが歴史として正解なのか?別段ジャッジメントを下さないといけない立場ではありませんので、なるほど!そうした形の可能性もあったのか!と楽しく読ませて頂きました。

そして見出しに入れている『信長公記を書いた太田牛一のせいです』について書いておきたいのですが、信長公記は一次資料として非常に価値が高いのですが、前田家に配慮をして、きちんと書けなかった説が採用をされています。これは恐らくは事実でしょうね。色々な説がありますが、2022年の大河ドラマとなった、鎌倉殿でも、源頼朝が死んで理由すら、まともに吾妻鏡には書かれていないときたもんだ!となりますが、吾妻鏡は北条家を向いて書かれているので、源頼朝を北条が暗殺したんじゃね?と言うのもあれば、いやいや、源頼朝に憧れている徳川家康が頼朝の死に方がダサすぎるから、吾妻鏡の頼朝の死ぬ箇所を削り取らせた。と言う話もあります。

話としては少しそれましたが、いつの時代でも事実のみを淡々と書いて公式に残していくのは難しいですね。民主主義国家のどこかの国では総理大臣の為に文章を改ざんさせたり、データを捏造してばれたら元データを処分したりしている国があるらしいです。おまけにカルト宗教団体と選挙も含めて様々なシーンで協力をしているのに、政権与党らしいですからね。

と言う事で、本書では太田牛一が配慮をした。と言う形式を取っているのですが、本当はどっちなんでしょうね?本人が勝手に配慮をしたのか?上から手を加えさせられたのか?その辺りは真相は藪の中となります。

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